三島由紀夫「金閣寺」

「古典が読みたい!」

ふとそんな気分になった、夜行バスで帰京後の早朝。

帰宅したのちに本棚をあらためて確認。

長年居座り続け、出番を今か今かとまちわびていたであろう

三島由紀夫金閣寺

を読むことに。

ページをめくり終えると、もっとはやく日の目を浴びせればよかったなと後悔している。。。

 

三島に圧倒的に優れている要素は「美意識感覚」ですよね。

特に感心したのは「時間」の軸を美に取り入れたことです。

 

どうも金閣寺は美しく感じない。

でも、音楽とともに見る金閣寺は美しいと感じる。

 

違いをつきつめると、それは「時間」だったんです。

音楽は

未来⇒現在⇒過去⇒終わり

の時間の流れが完成しています。

まだ聞こえていない音。

今聞こえいる音。

もう聞こえた音、の連続が音楽です。

そして、いつか演奏は終わります。

 

一方で金閣寺

過去⇒現在⇒未来

という時間の流れ。

つまり安定した時間の中で永久的に存在し続けるんです。

 

そこで気がつく。

金閣寺を焼かねば

永遠の安定に終わりを告げなければ美しくならないと感じたわけです。

 

実際に燃やすその前に最後の姿を見て。

これが金閣寺の本当の美しさか。

いまにも燃えてなくなる金閣寺を見た時にはじめて「美しい」と感じたわけです。

 

これまで感覚的に美を感じたことはあります。

でも、その理由なんて考えたことありません。

それが「終わり」があるかどうか、だったんですね。

たしかに現実世界において、そこにあって当然なモノには誰も見向きはしないですよね。だっていつでも見ようと思えば見れるわけですし。

でもそれが期間限定であったりしたらどうでしょう。

こぞって写真に撮りますよね。

たとえば旅行なんてのもそうでしょう。

旅の日数が決まっているからこそ気分が上がるし、旅先で見た風景なんか一生の思い出になります。

 

つまり

今を大切に生きようよ、ってことじゃないかと思います。

人間誰だって死は訪れます。

もちろん存在しているだけで美しいのです。

そのなかで、いかにより美しく生きるか。

何か変えられるのは今、しかありません。

今の連続が未来へつながるのです。

 

「いつかこうなりたい」なんて漠然と想像していまいがちでしたが、それは叶わないことでしょう。なぜなら今、何も行動を起こしていないからです。

今、を一生懸命生き続ければきっと美しい人生になると信じることにしました。

 

ぜひ、一読してみてください!