羽田圭介の講演から学んだこと

先日京都市の大学で開催された羽田圭介氏の講演に参加してきました。

羽田さんの作品は芥川賞作品の「スクラップ・アンド・ビルド」をはじめ、自身2作目であり、性への関心が旺盛な高校生の日常を描いた「不思議の国の男子」(同じ男子として共感しました)、「成功者Kのペニスオークション」も読了しているところです。

以下にWikipediaリンク貼っときます。

羽田圭介 - Wikipedia

 

”思考を発酵させるための蓄積”

と題して約2時間の講演だった。

お話された2点についてまとめていきたい。

 

  1. 画一化されてきた現代
  2. 差異を手に入れて生きろ

 

1.画一化されてきた現代

まず羽田さんは多様性がなくなってきた社会に警鐘を鳴らしている。

それは誰しもが「失敗を過度に恐れている」ことである。

そのたとえ話としてまずは「本の感想」を例に出して説明された。

文芸誌などで著書の批評を数多の作家からうけるなかで、少し角度の違ったその作家らしい独特な表現・言葉で評価してくれたことがあったようだ。

するとこの意表を突いた批評が世間に広まり、その捉え方が善であるかのように以降はその作家と同じ批評がたくさん寄せられ、プロの作家ですら同じ言葉を使って批評する事態になったそう。

ここに危機感を抱いた。

作品のとらえ方なんでひとそれぞれでいい。最近では芸術作品の感想を検索している人もいる。間違っててもいいんです。自分の中で発酵させることが大切。それに人の意見が正しいとも限りません。

読んだ時期や生まれ育った環境背景にも異なってくるはず。

それが普通であるにもかかわらず、感じ方にあたかも正解があるかのようにみんな一緒の答えをだすのだ。

 

 さらにそれが「何を幸せと思うか」まで発展しているという。

既に提示された幸せのモデルに沿える人しかいない。

結婚して子供にも恵まれた家庭を築くことが幸せだと認識がある。

書店でも「必ず幸せになれる○○な方法」や「成功するための○○の方法」などのタイトルをよく目にする。

 

これの何が問題なのかというと

失敗を恐れるがあまり「正解」とする価値観が画一化・絶対的正義だと認識が広まることでそれに沿えない人は淘汰されてしまうことだ。

すると人間同士不寛容になり社会も閉塞感を抱くことに陥る恐れがある。

 つまり多様性が認められない社会になってしまう。

 

そのためにも

自分が間違っているかもしれないと不安を持っていないといけない。

これにより自分の価値観にないモノを受け入れることができるという。

結局は自分の見たいようにしか世界を見ていないのだ。

その凝り固まった認識のフレームを外す作業が現代人に足りていない。

 

考えさせられた。たしかにレビューが高いから間違いない、なんて思いがちであった。そこには何の根拠もないし、どうやって評価しているのかも知らないけれど、多数派が正義って思うところはあった。

反省しなくちゃ。

 

 

2.差異を手に入れて生きろ

差異、つまり「違い」である。

これからの時代についてこう語る。

自分にしかできないことをできるようにならないといけない。

 AIの誕生を背景に人間の替わりに何でも動いてくれる時代になる。

そのなかでどうやって生きていくのか。

それが差異である。

自身がテレビでも仕事がくる理由としてこう分析している。

芥川賞作家

②NGがないタレント

この2つをあげていた。

考えてみれば文学賞をとった専業作家で、テレビで活動的に出演される人はいない。

そしてどんな企画でも断らないことにしているそうだ。

この掛け合わせによって羽田さんにしか成しえない独自の差異が誕生したのだ。

この差異を生み出すにはどうしたらいいのか。

どんなに小さくてもいいから得意分野を増やすこと。

たとえば電車移動の間なんかのスキマ時間に何か差異を生み出すためにやってみる。これが数十年と経つと大きなものになる、と勧める。

この蓄積が独自に発酵し、他のとの差別化がうまれ、器用に生きられると語る。

  

ぼくの場合は「何と何」が掛け合わせて差異を生み出せるのか楽しみだ。

いい2時間を過ごせた。羽田さんありがとうございました。